学んだことを記憶に定着させ、応用する力を育む声かけ:知識の保持と活用の理論と実践
学びを定着させ、活かす力とは:教育現場における重要性
日々の学習活動を通じて、子供たちは様々な知識やスキルを身につけます。しかし、学んだことを単に一時的に記憶するだけでなく、それを長期的に保持し、未知の、あるいは異なる状況で応用できるかどうかが、その学びが真に身についたかどうかの重要な指標となります。この「学んだ知識や経験を記憶に定着させ、他の場面で活用する力」は、変化の速い現代社会において、子供たちが主体的に学び続け、思考を深める上で不可欠な能力です。
教育現場では、単元ごとの知識伝達だけでなく、それらの知識が子供たちの思考の中で有機的に結びつき、新たな課題解決に活かされるような支援が求められています。そのためには、教員から子供たちへの日々の声かけが、単なる知識の確認に留まらず、記憶の定着と応用を意識的に促すものであることが重要になります。
記憶のメカニズムと知識の応用:理論的背景
子供たちが学んだことを記憶し、応用するプロセスには、認知心理学における記憶のメカニズムが深く関わっています。
記憶の種類と学習
記憶はいくつかの段階と種類に分けられます。 * 感覚記憶: 情報を一時的に保持する非常に短い記憶です。 * 短期記憶(ワーキングメモリ): 短時間情報を保持し、処理を行うための記憶です。考える、計算するといった活動に不可欠です。 * 長期記憶: 比較的長期間情報を保持する記憶です。 * 陳述記憶: 言語化できる記憶。 * エピソード記憶: 個人的な経験や出来事に関する記憶(例:「昨日の理科の実験は楽しかった」)。 * 意味記憶: 概念や一般的な知識に関する記憶(例:「水は摂氏100度で沸騰する」)。 * 非陳述記憶: 言語化しにくい記憶。 * 手続き記憶: 体で覚える技能に関する記憶(例:自転車の乗り方、計算の仕方)。
新しい情報が長期記憶に定着するためには、短期記憶で適切に処理され、既存の知識や経験と結びつけられることが重要です。特に、エピソード記憶や意味記憶として整理されることで、単なる丸暗記ではなく、意味のある知識として定着しやすくなります。
知識の「転移」と「応用」
学んだ知識を別の状況で活用する能力は、「転移」と呼ばれます。これは、ある状況で獲得した知識やスキルを、異なる状況で適切に適用できる能力です。転移には、似た状況での転移(近接転移)と、大きく異なる状況での転移(遠隔転移)があります。学んだ知識を真に応用できる状態とは、この遠隔転移が可能になっている状態に近いと言えます。
なぜ知識の応用が難しいのでしょうか。一つには、文脈依存性があります。学んだ時の状況と異なる状況では、同じ知識やスキルだと認識しにくいためです。また、知識がバラバラに孤立して記憶されていると、他の情報と結びつけて活用することが難しくなります。チャンク化(関連する情報をまとめて意味のある塊として捉えること)や、既存の知識構造であるスキーマとの関連付けが、知識の定着と応用を促進します。
効果的な声かけは、子供たちが学んだことをワーキングメモリ上で操作し、長期記憶の既存知識と結びつけ、さらに異なる文脈での活用を意識させる手助けとなります。
学びの定着と応用を促す具体的な声かけ例と実践
日々の対話の中で、子供たちの記憶の定着と知識の応用を促す声かけを意識的に取り入れることができます。以下に具体的な例を示します。
定着を促す声かけの例
学んだ内容を思い出し、整理し、自分の言葉で表現する機会を作る声かけです。
- 「今日の国語の時間に習ったことの中で、一番心に残っていることは何ですか?」
- (子供の反応例:「登場人物の気持ちを考えるのが面白かった」)
- → その後の声かけ例:「その登場人物は、どんな気持ちだったのかな?そう思ったのは、お話のどんなところから分かったの?」
- (学んだ内容を具体的なエピソードと結びつけて思い出すことを促します。)
- 「昨日の算数で習った計算のやり方、友達に説明するとしたら、どう教えますか?」
- (子供の反応例:「まずここを計算して、それからこれを引くんだよ」)
- → その後の声かけ例:「なるほど。どうして最初にそこを計算するのかな?その理由も教えてもらえる?」
- (単なる手順だけでなく、その理由や原理を考え、言語化することで理解を深め、記憶を定着させます。他者に説明するという設定は、思考を整理し、アウトプットする良い機会となります。)
- 「この理科の実験、どんなことが分かったか、ノートに絵と言葉でまとめてみようか」
- (子供の反応例:「水に溶けると見えなくなるものがあることが分かった」)
- → その後の声かけ例:「絵で描くとしたら、水に溶ける前と後でどんな風に描く?言葉でまとめるなら、どんな言葉を使うと分かりやすいかな?」
- (視覚情報と言語情報を結びつけることで、記憶の定着を助けます。複数の方法で表現することは、多様な角度からの理解を促します。)
応用を促す声かけの例
学んだ知識やスキルを、別の状況や未知の課題に結びつけて考える機会を作る声かけです。
- 「社会科で地域の歴史について学んだけど、この前見に行ったお祭りは、その歴史と何か関係があるのかな?」
- (子供の反応例:「お祭りに出てくる〇〇っていうのが、昔の人たちが大切にしてたものだって聞いた!」)
- → その後の声かけ例:「そうなんだね。それは社会科で学んだ〇〇という出来事とどうつながるんだろう?他に何か、歴史と関係がありそうなものはないかな?」
- (教科横断的な視点や、具体的な生活体験と学習内容を結びつけることで、知識の適用範囲を広げる意識を育みます。)
- 「図工の時間に、絵の具の色を混ぜて新しい色を作る勉強をしたね。今日着ている服の色と、どんな色を混ぜたら同じような色ができるかな?」
- (子供の反応例:「えっと、この水色は、青と白かな?」)
- → その後の声かけ例:「なるほど、青と白で水色ができるね。もし、もう少し濃い水色にするなら、どうすればいいと思う?この服の模様の部分の色はどうかな?」
- (学んだ知識を、身近な具体的な状況に当てはめて考えることを促します。試行錯誤や仮説形成の機会にもなります。)
- 「この前の道徳の時間で、困っている人にどう接するかを考えたよね。もし、遊んでいる時に友達が転んでしまったら、その時考えたことで何か役に立つかな?」
- (子供の反応例:「声をかけて、大丈夫?って聞く!」)
- → その後の声かけ例:「そうだね、声をかけるのは大切だね。その時、どんな言葉をかけたら友達は安心するかな?もし、起き上がれなさそうだったら、どうする?」
- (抽象的な学びを具体的な行動と結びつけ、実践的な応用力を養います。状況に応じた複数の選択肢を考える思考も促します。)
実践する上での注意点と多様な子供への対応
これらの声かけを効果的に行うためには、いくつかの点に留意が必要です。
- 子供の発達段階に合わせる: 問いかけのレベルや内容は、子供たちの認知発達段階に合わせて調整することが重要です。低学年にはより具体的で身近な例を、高学年には抽象的な概念や複雑な状況への応用を促す問いかけを試みます。
- 考える「間」を与える: 問いかけに対して、子供がすぐに答えられない場合でも、焦らず考える時間を与えることが大切です。沈黙を恐れず待つことで、子供は自分で思考を深める機会を得られます。
- 思考プロセスを評価する: 正しい答えが出なくても、答えに至るまでの考え方や、知識を応用しようとしたプロセスそのものを認め、評価することが、子供の挑戦意欲を育てます。
- 多様な表現方法を認める: 全ての子供が言葉で流暢に考えを表現できるわけではありません。絵やジェスチャー、文章など、子供が最も表現しやすい方法で考えを示すことを奨励します。理解が遅い、あるいは特定の情報処理に困難を抱える子供に対しては、より具体的な手がかりを与えたり、スモールステップで問いかけたりするなどの配慮が必要です。
- 保護者との連携: 家庭での日常会話でも同様の声かけができるよう、保護者会や個別面談などで、学んだことの定着や応用を促す家庭での声かけのヒントを共有することも有効です。例えば、「今日学校でどんな面白いことあった?」だけでなく、「その面白いことから、どんなこと新しく分かった?」や「前に図鑑で見た〇〇と、今日の〇〇は似ているのかな?」といった声かけを提案できます。
結論:日常の声かけが育む、学びを活かす力
学んだ知識や経験を記憶に定着させ、異なる場面で応用する力は、子供たちが自立した学習者となり、変化する社会を生き抜くための基盤となります。この力は、特別なドリルや教材だけでなく、日々の授業中の対話や休み時間のふとした会話、下校時のやり取りといった、日常の様々な声かけによって育まれます。
教員が子供たちの学びのプロセスに寄り添い、「覚えていること」を引き出し、「他の場面でどう活かせるか」を共に考える声かけを続けることで、子供たちは知識を単なる情報としてではなく、生きたツールとして捉え、主体的に活用する力を身につけていくでしょう。これらの声かけの積み重ねが、子供たちの学びを深め、考える力を豊かにしていくことにつながります。